なるふぉです。
月並みなことだが、一度いつもの場所を離れることで、逆にいつもの場所の良い面も悪い面も見えてくる。
芸人オードリーの若林さんのエッセイ「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読んだ。
この本は、若林さんが色々な国へ旅行した体験記で、特にキューバ旅行がメインで描かれている。日本は資本主義の国であるのに対し、社会主義が色濃く残っているキューバ。その中でどのように感じ、日本のことや身の回りのことと比較して考えを深めていく彼の思考を追体験できる。
体験やテーマごとに節が分かれており、文も平易なため非常に読みやすい。
ただし、いくつかの節は非常に心にささる。
資本主義と社会主義の比較
まず刺さったのは、社会主義と資本主義との比較である。
資本主義では、機会は平等に与えられるが、結果はお金に左右され不平等と彼は考える。
ものを買う機会はある程度平等に与えられていて、高価でも店に行けば買える。
ただし、お金がないと買えないので、結果、金持ちと貧乏の不平等が生じる。
一方で、社会主義では、結果の平等を目指しているが、機会は不平等であると彼は感じた。
社会主義の定義上、「みんな平等」を謳っている。例えば、金を持っていれば誰でもいい家に住めるわけではない。
しかし、そのような状況だからこそ、コネがあるものが強い。コネがあるものが良いものを手に入れられるという機械の不平等があるのだと。
わたしにはこの着眼点がなかったので、ハッとした。
単純に社会主義の欠点は「競争がないため人が怠けてしまう」だと思っていたのだが、金ではなくコネがものをいう社会になるのは想像できなかった。
彼は、「貧しい生活が、競争に敗れて金が無いからか、重要人に取り入ることができずコネがないからか、どちらの方が納得できるかと考えたら、資本主義の方がマシではないか」と感じたという。
資本主義の競争にうんざりすることは多くの人が感じるものだと思うが、このような比較をすると案外マシな社会構造なのかもしれない。
肉親はいなくなってから身近に感じる
もう一つささったのは、
キューバ旅行のきっかけとなった彼の父親の死について語る節である。
亡くなって遠くに行ったはずなのに、彼は旅の途中、ずっと父親と一緒にいるような気がしていた。
亡くなって遠くに行ってしまうのかと思っていたが、不思議なことにこの世界に親父が充満しているのだ。 現にぼくはこの旅の間ずっと親父と会話をしていた。
いや、親父が旅立ってからずっとだ。
彼がどのように旅立った父親を感じていたかは、はっきり明言されていない。
が、わたし自身、親を亡くして同じように感じていたのだと気付かされた。
「親だったら、こういう場合にどう考えただろう」とか、「親はあの時どう思っていたのか」「こういうのは親が好きそうだったな」など、私自身、旅立ってから親のことを考える機会が増えたと感じる。おそらく若林さんもそのように感じていたのではないだろうか。
読み終えて
旅行体験記のエッセイは久々に読んだが、非常によかった。
旅はただ楽しければ良いと思っていたが、このように体験から深く考える旅はしたことがない。
このように色々感じて明文化できる旅行が自分にもできるであろうか。
コメント